学研幼児教室の卒業生 花瀬さん
西城幼稚園教諭
花瀬莉子
子どもたちに親しまれる幼稚園の先生でいたい
幼稚園で開設されていて、通いやすかったプレイルーム
私は現在、西城幼稚園で教諭として働いています。 日頃から自分よりも年下の子と関わる機会が多く、お世話をすることが嫌いではなかったので、そういった福祉に関わる仕事をしたいと思っていました。いろいろと調べていくうちに、幼稚園の先生も福祉の一環であることを知りました。私は、自分が子どもの頃に西城幼稚園に通っていて、現在も当時お世話になった先生と年賀状の交換などをしているんです。私もあの先生のように、子どもたちとずっと交流を続けられたらと思い、今の職業を選びました。
西城幼稚園には学研幼児教室のプレイルームが開設されています。私も幼稚園の年中から年長、4歳から5歳頃まで、プレイルームに通っていました。幼い頃のことなので、通い始めたきっかけは覚えていませんでしたが、親に尋ねたところ、幼稚園のなかで開設されていて、子どもたちが別の場所に移動しなくて良く、さらに知っているお友達がいれば通いやすいだろうと思って選んだそうです。
西城幼稚園のプレイルームの指導には、すてきな鈴木先生という先生がいらして、実は私も受け持っていただきました。当時から、優しく面白くて、子どもの気持ちに寄り添ってくださっていると感じていました。西城幼稚園に教諭として勤務することが決まったときにお声がけしたら覚えていてくださって。楽しかった思い出のある幼稚園で働けていることが、今とても幸せです。
プレイルームでは、楽しみながら数や言葉を学べた
幼い頃のこととはいえ、勉強することはあまり好きではありませんでした。しかし、プレイルームでの指導は、ゲームの延長線上のような感覚だったので、行きたくないと思ったことはあまりなかったように記憶しています。教室が終わったあともお迎えの時間まで幼稚園で友達と一緒に遊んだり、お迎えが来たあとはプレイルームに通っていた子たちで公園に行って遊んだりできたので、単純に楽しかったんだと思います。大人になって振り返ってみると、プレイルームの先生も友達と一緒に遊びながら学べるように考えてくださっていたんだと気づきました。
幼稚園教諭になって、3歳から5歳くらいまでの子どもたちが、数字やひらがなにとても興味を示すことを知りました。プレイルームで楽しく学べたことは、興味を持つ時期に苦手意識を抱くことなく取り組めたという意味でも、とてもありがたいことだったと感じています。
小学校の授業も怖がらずに受けられた
私は辞書を引くことを覚えるために、とにかくたくさんの言葉を調べました。負けず嫌いだったので、ほかの子たちと辞書でどれだけ知らないことばを調べられたか、クラスで競い合っていたこともありました。調べたことばには付箋を貼っていくのですが、私は教室が始まるよりも早く行って、先生に知らない単語を話してもらうようにせがんでいました。先生も私が何をしたいのかを理解してくださり、私が知らないであろう難しいことばをあえて使ってくださったことを覚えています。
小学校に上がると難しいひらがなや漢字を書くことも増えるのですが、プレイルームやスタディルームで学んでいたからこそ、身構えることなく授業に臨めたなとも感じています。自分としては、みんなが知らないことばを知っているぞ、とちょっと自慢するような気持ちもありました。また、幼稚園の段階で少しでもひらがなや数字に触れることで、保護者の方の不安も軽減されるのではと考えています。
自分が通っていたときに出会った先生のように、私も子どもたちに「花瀬先生は優しかった」と覚えていてもらいたいなと感じています。将来は、子どもたちの記憶に残れるような先生になれたらと思っています。