学研教室の卒業生 比嘉さん
公認会計士志望/海外ワーカー
比嘉聖斗
子どもたちが誇れる豊かな日本を作りたい
勉強のしやすい環境を求めてオーストラリアへ
現在私は、オーストラリアに滞在し、ラーメン店で働きながら、日本の公認会計士資格の取得を目指して勉強しています。大学時代、海外に長期で住むことを夢にしていたのですが、ちょうど在学中に新型コロナウイルスが流行して叶えることができず、卒業後に就職したものの夢をあきらめきれずにいました。そこで昨年、一念発起をしてニュージーランドに行き、今年はオーストラリアにやってきました。
なぜオーストラリアを選んだのかというと、公認会計士資格の勉強時間の確保がしやすかったからです。日本では仕事や友人との付き合いもあり、勉強時間の確保が難しかったのですが、オーストラリアは時給が高く、週4~5日、1日4時間程度の労働でも生活できます。1日8時間の勉強時間が確保できることから、勉強に集中できる環境としてオーストラリアを選びました。
苦手だった英語も、先生との会話で興味が持てるように
学研崎山教室には、中学1年生から中学3年生の頭まで通っていました。中学1年の頃に私が不登校になり、外に出かけること自体がつらくなっていたのですが、弟がとても楽しそうに学研教室に通っていたんです。友達も同じ教室に通っていたこともあり、学研教室になら行ってみたいと思えるようになって、通うことを決めました。
科目の中では、特に英語が苦手でした。中学生になってゼロからスタートしたものの、不登校になったことで理解が進まなくなってしまったのです。ですが、リスニングやプリント学習に取り組むうちに、その面白さを感じ始め、さらに眞志喜先生や当時教室でアシスタントをされていた大学生の先生から海外での出来事を教えてもらい、自分の知らない世界に触れることができて興味を持てるようになりました。英語の成績もみるみる上がり、高校入試では、60点満点のところ40点台を取ることができましたし、大学では英語コミュニケーション学科を選んだほどです。
すべての子どもに平等に接してくれた眞志喜先生
学研教室の眞志喜先生は、ひとりひとりに情熱を持ってアプローチをしてくださいました。学研教室に通い始めた頃は、外出したり、学校に行ったりしたほうがいいとわかっていながらできなかったことに焦りを抱えていました。ですが、学研教室という頼れる場所があり、先生がずっと見放さずにいてくださったことで、中学2年生には特別学級へ、3年生からは普通学級へと通えるようになりました。
眞志喜先生は、まるで太陽のような先生でした。当時、教室に通っていた30~40人ほどのすべての子どもたちに平等に接していましたし、誰からも好かれている人でした。小学校の先生ですとどうしても相性がありますが、眞志喜先生に関しては子どもたちから合わないという話を聞いたことは一度もありません。大人になった現在でも、幼なじみや友人と、学研教室の思い出話をするくらいです。先生は子どもたちと心の距離が近く、私にとっても救いになってくれる存在でした。
先生の存在が人生の心の支えに
私は、大学卒業後、政治家の秘書として働くなかで、公認会計士という職業を知りました。税務や監査といった独占業務を通じて、多様な企業と関われることに魅力を感じました。将来は社会全体を見渡せる視点を持ち、政治家として子どもたちが誇れる豊かな日本を作りたいという目標があり、その第一歩として公認会計士を目指したいと考えています。
現在でも、立ち止まったり迷ったりすることはたくさんあります。けれど、学研教室での出来事や眞志喜先生のことを思い返すと、まだまだ頑張ろうと思うことができます。先生のおかげで海外に出ることもできましたし、そこでの勉強を通して日々の成長も感じています。先生の存在は、学業だけでなく私の人生の心の支えにもなっています。