学研教室の卒業生 岩井さん

学研教室の卒業生 岩井さん

UTSUWA出版 編集長
岩井聡史

編集者として面白い小説を出版し、自分でも小説を書きたい

試行錯誤をしてたどり着いた編集という仕事

現在は、ベンチャーの出版社である「UTSUWA出版」で編集長をしています。「UTSUWA出版」は働く人全員が経営者か個人事業主という少し変わったビジネスモデルで運営しており、私も個人事業主として「UTSUWA出版」から仕事を受注し、編集長として本を作っています。主に、現在仕事をされている方の、その仕事についての本を作ることが多く、著者の思いや経験を盛り込みつつ、ビジネスに応用できる本を作りたいと思いながら取り組んでいます。本ができあがった際は、著者の方が満足して喜ばれていることはもちろん、本をきっかけに成約が叶った、売上が上がったというお話があると、自分としてもよりいっそう手応えが感じられます。

もともと、出版に携わりたいという気持ちはありませんでした。本を読むことは好きでしたが、作ろうと考えたことがなかったんです。実は大学時代、将来について明確なビジョンも持っていなかったんですね。私が大学生の頃は、起業や副業も今(2023年)ほど盛んではなく、自分も会社に就職して給料をもらい、結婚して幸せな生活を送るのだろうとぼんやり思っていたくらいでした。
それが大きく変わったのは、2回の転職がきっかけでした。海運会社に勤めたあと、広告代理店で営業を担当して、自分には営業が向いていないと強く感じたんです。それもあって個人事業主になり、まずできる仕事はなんだろうと考えて始めたのがライティングでした。その仕事のご縁でUTSUWA出版の代表に会い、今の仕事に携わることになりました。

計1年4か月を会社員として過ごし、個人事業主になってからは5年目になるので、この働き方が僕には向いていたんだなと、今は感じています。

試行錯誤をしてたどり着いた編集という仕事
試行錯誤をしてたどり着いた編集という仕事

幼稚園から中学3年生まで通った学研教室

学研教室には、幼稚園の年長から中学を卒業するまで通っていました。通い始めたのが幼稚園のときでしたから、なぜ学研教室を選んだのか、自分ではよく覚えていないんです。ただ、兄が別の塾に通っていて、僕もその塾の体験をしに行ったそうなんですね。それでも、母は私には学研教室を勧めたみたいで。今にして思うと、教室が開室して1年目くらいだったこと、私と先生のお子さんのひとりが同い年だったこともあり、その繋がりで通うことになったんだろうなと思っています。

私が通っていた学研中菰野(なかこもの)教室の柏木先生は、幼稚園の頃から見てくださっていたこともあり、私の性格や特性を考慮して接してくださっていたように感じます。私は、その日に用意されたプリントが終わったら、ささっと帰りたいタイプだったんです。先生も何も言わず、私の能力に見合った課題を出してくださり、解き終わるスピードがあがったら問題を増やすなどして対応してくださっていました。短期集中で時間を区切って物事に対応していく力は教室で学んだと思いますし、効率よく学べる体質にもなれたと感じています。

また、先生は私が細かく指摘をされることを嫌う性格も把握していて、よほどのことがない限り指示などはありませんでした。それでいて相談に行ったときにはちゃんと助けてくれる。それがとてもありがたかったです。

学研教室を卒業してからも、私が先生のお子さん(長女の方)が通っている高校に入学したこともあって、ご縁はずっと続いていました。それほど頻繁にお目にかかっていたわけではありませんが、大学時代は留学の話をしに行くこともありましたね。それがきっかけで、教室で留学の経験を話してほしいとお願いされました。ちょうどその場にいた会員さんのひとりが、私の話を聞いて「ひとりでも海外に行けるんだ」と思ってくれたらしく、大学生になってからフランスに留学したそうです。実は、ちょうどその子がフランスにいる頃に私も世界一周をしていて、先生がその子と連絡を取ってくれて、一緒にモロッコに行きました。

その子は先生から高校選びについてアドバイスがあったそうですが、僕はそういうことがなかったので、やはり先生はきちんと一人ひとりを見て応対してくれているのだなと感じました。

とことんまで疑問に付き合ってくれた先生

私は国語や英語は得意でしたが、算数・数学はあまり得意ではなかったんです。ある日、「-1×-1=1」という数式を見て、まったく意味がわからなくなってしまって。そもそも「マイナス」というのは何もないのだから「ゼロ」ではないのか、「マイナス」と「マイナス」を掛けるとなぜプラスになるのかが理解できないというか、納得がいかなかったんですね。当時の中菰野(なかこもの)教室では、教材の囲みを読んでもわからないところは先生に直接聞きに行っていたので、そのときは私がほぼ先生を独占していました。どんな回答をしてもらったのか今は覚えていませんが、真摯に回答してくださって納得がいくまで付き合ってくれたのは覚えています。

私は自分で言うのもなんですが、変にプライドが高いところがありました。自分はほかのみんなより少し賢くて、少し物事を知っていると思っていたんですね。先生はそれを理解した上で、モチベーションが上がるように働きかけてくださっていたなと、今振り返ると感じています。きっと、私の性格だと、ほかの塾だったらすぐに飽きてしまって、思うような成果は得られなかったんじゃないかなと思うんです。でも、プリントが終わったらすぐに帰っていいとか、ずっと集中し続けなくていいというスタイルだからこそ、長く通うことができたんだろうなと感じています。

大好きな小説の編集をして、心の底から面白いと思える本を作りたい

大学時代、南米のチリに留学したことがいい経験として残っていました。チリを含め、海外は不便な場所も多いのですが、私にはその不便さが新鮮で。もっといろいろな国に行きたいと思い、将来の夢として世界一周を掲げ、それを2023年に叶えることができました。

世界一周する中で特に印象に残ったのはラオスです。ヴィエンチャンは世界一何もない首都と言われているのですが、言葉のとおり本当に何もなかったんです。やることもないから、毎日ビールを飲みつつ、少しだけ仕事をして、宿にいる外国の方としゃべりながら過ごす……その時間が幸せで。やることがないからこそ、シンプルに幸せを感じられるのだろうと学べた場所でもありました。

将来の夢のひとつを達成したこともあり、実は今大きな夢があるかといわれると、少し悩んでしまうところです。今の私の仕事は、仕事をしている方がその仕事について本を書くことのお手伝いのようなものですが、もともと小説が大好きなので、いつか小説を書きたい方の担当編集になって、一緒に心の底から面白いと思える本を作れたらいいなと思います。そして、いつか自分が面白いなと思える小説も書いてみたいですね。

大好きな小説の編集をして、心の底から面白いと思える本を作りたい
大好きな小説の編集をして、心の底から面白いと思える本を作りたい