学研教室の卒業生 辻岡さん
言語聴覚士
辻岡 奈緒
食べたり話したりすることを手助けしていきたい
言語聴覚士に興味を持った高校時代
言語聴覚士として、脳梗塞などによって言葉が出にくくなったり、ろれつが回らなくなったりした方の言語リハビリを担当しています。そのほか、高齢者の方も含め、喉の筋肉の衰えなどで、飲み込みが難しくなった方の嚥下練習や、喉の通りをよくするリハビリ、その方に合った食事の提供なども行っています。
言語聴覚士という仕事について知ったのは、高校生になってからです。高齢者の増加に伴って、将来的には医療関係の仕事が必要とされる機会が多くなるのだろうと、中学生の頃から思っていました。そんなとき、理学療法士をしている親戚から、リハビリには理学療法士、作業療法士、そして言語聴覚士があるけれど、これからは言語療法士がより必要とされるのでは、という話を聞いて興味を持つようになりました。また、私自身、食べることがとても好きなので、その手助けになれる仕事ということもあり、この職業を選びました。
同学年の子たちと学ぶことが楽しかった
下津のびのび教室には、小学4年生ぐらいから中学3年生まで通っていました。教室は学校の近くにあり、ほかの塾とは違って楽しそうな雰囲気だったので、通うことを決めました。実際に通ってみても、和気あいあいとしていて、教室内にもピリピリとした空気感がなく、ほかの習い事に近い感覚で通うことができました。とても穏やかな空気が漂っていたので、わからないところや学校では聞きにくいことも素直に質問でき、この空気が私には合っていたように思います。
学研教室に通っていた6年間の中で、特に中学時代のことが記憶に残っています。同じ学年の子が4人通っていたのですが、常に4人で集まってわからないことがあれば話し合うなど、グループ学習のようなことをしていました。私が通っていた中学は2クラスしかなかったので、同じクラスの子もいましたが、なぜか学校ではほとんど話すことはなかったんです。ですが、学研教室に行くと学校での他愛ない出来事や進路についても話し合えました。友達に会うために学研教室に行くのも楽しみでした。
当時、得意な教科は特になく、全教科が苦手な方でした。その中でも社会は歴史に興味を持てなかったこともあり、取り組むのが大変でした。ですが、学研教室で途中から社会も教えてもらえることになったり、少し興味が持てるようになってからは、成績も上がりました。
第二の家のようだった学研教室
学研教室は橋爪先生のご自宅で開かれていたので、最初はまったく知らない場所に行くようでドキドキしていました。けれど、慣れてくると温かく迎え入れてくださり、第二の家のように思えました。学校とは違ったプリント形式の勉強が取り組みやすく、何より質問がしやすかったことが、自分にはとても合っていました。学校では先生に聞きに行くことがなかなかできなかったのですが、学研教室では何でも聞いていい雰囲気があったんです。
橋爪先生は、基本的に優しく、でも言うべきことはしっかりと言ってくれる先生でした。勉強のことはもちろんですが、部活のことや日常のことも親身になって聞いてくださり、今の私は橋爪先生がいなければなかったと感じるほどです。高校受験の前には進路のことを先生に相談に乗っていただきました。言語聴覚士という職業を知ったのは、教室を卒業したあとでしたが、国家試験に合格した際には先生に報告に行くくらい、先生の存在はずっと心の中にありました。
人を大切に思う気持ちを、学研教室で学んだ
学研教室にいたとき、先生は「ここがいいよ」とよく褒めてくださいました。また、「人よりも時間はかかるけれど、コツコツとこなせる努力家」と褒めていただいたことが自信につながり、その言葉を思い出して国家試験に向けた勉強にも取り組むことができたように思います。先生が親身になって言葉をかけてくださったこと、本当に自分のことを思ってくださっていることが感じられて、それは私自身も現在の患者さんとの関わりで意識しています。
言語聴覚士としては、今年で4年目になります。患者さんから、以前はろれつが回りにくかったけどよくなった、食べ物を食べれるようになった、という声をいただいたときは、特にやりがいを感じます。現在は、病院内での活動が主ですが、将来的には地域の活動にも結びつけて、病院以外での予防的な活動ができたらと考えています。