学研教室の卒業生 中島さん

中島さんのお仕事中の様子です

株式会社金山化成 常務取締役
中島 和也

会社と気象予報士の資格、いろんなことに挑戦し、生かしていけたら

地元に帰って恩返しをしたかった

私は現在、株式会社金山化成の常務取締役を務めています。金山化成は祖父が始めた事業で、国内では30%のシェアを占める農業用や園芸用のビニール製の鉢植えを主に作っています。私は将来的には三代目として会社を継ぐ予定で、現在は現場で仕事の内容を学んでいる最中です。

大学は地元から離れたところに進学したため、いつかは地元に帰って恩返しをしたいという気持ちがあり、在学中から家業を継ぐことを意識し始めました。現在の仕事は製品が店頭に並ぶので、実際に成果を目で確認できる点に、大きなやりがいを感じています。また、この事業には伸びしろがあるとも思っているので、さらにやりがいがあります。

わからないをわかるに変えてくれる学研教室

学研すがた教室には、兄が通っていて、よく一緒について行っていました。その後、小学1年生くらいから本格的に入室し、中学3年まで9年間通いました。勉強をしたいという気持ちよりも、兄が通っていて楽しそうだったから、自分も行ってみたいという気持ちが強かったように思います。

実のところ、教室では星屋先生が英語の授業をしている隣で遊んだり、大声で話したりなど、かなりやんちゃなことをしてよく叱られていました。ですが、教室に行きたくないと思うことはなかったんです。学研教室が勉強をするというよりも、わからないことを理解できるようにするという方向性だったので、自分も「わからない」が「わかる」に変わるのを楽しく感じられたからだと思います。

小学生時代は、教材も比較的簡単なもので、それが解けると次は少し難しい問題を出されるといった形の繰り返しでした。全部解けるとうれしくて、次も挑戦したいと思えました。また、プリント学習は、理解できているところを自分でひたすら進められたので、それが自分には合っていたように思います。教室の子どもたちはみんな、同じ目標に向かって頑張る仲間であり、ライバル意識を持たずに過ごせた点も居心地のよさにつながりました。

わかるまで教えてくれる星屋先生

星屋先生はとても優しく、子どもたちに明るく接してくださるので、みんなから慕われていました。また、わからないところがあると理解できるまで丁寧に教えてくださって、それが自分にとってはとても助けになっていました。私は特に国語の読解が苦手でしたが、質問をすれば一対一で丁寧に対応してくださったこともうれしかったです。
勉強を楽しいと思える環境を作ってくださっていたことも感謝しています。また、年に1回か2回、星屋先生がお楽しみ会を開いてくださり、みんなで集まってゲームをやるのも楽しい時間でした。

すがた教室は、今年の春に閉室になりましたが、当時通っていた同級生たち7~8人程で集まり、先生と一緒に謝恩会のようなものを開きました。卒業後は地元に残っている同級生たちはほとんどいませんでしたが、遠方からも集まってくれて、先生に近況報告をしたり、感謝の言葉を伝えたりすることができました。先生も喜んでくださり、いい思い出ができたと感じています。

中島さんと先生の2ショットです

▲先生と中島さん。当時通っていた同級生とも先生とも再会して、話に花が咲きました。

いろいろなことに興味を持ち続けていられる

学研教室に通ったことで、わかることが楽しいと思える気持ちが身につき、わからないことを知りたいと、どんどん興味が持てるようになりました。以前は別の会社の開発部で働いていましたが、製品のアイデア出しには興味が欠かせず、学研教室で学んだことが活きていました。

また、私は小学3、4年生くらいから、実は気象予報士になりたいと考えていた時期がありました。図工の授業で「自分の夢を粘土で作りましょう」という課題があり、そこで自分の夢について向き合った際、テレビで見た気象予報士の方がとても楽しそうに仕事をしていて、あこがれを抱くようになったんです。大学入学後に星屋先生の応援もあって気象予報士の勉強を始め、昨年には合格することもできました。気象予報士の試験勉強では、苦しいことも多かったですが、理解できる楽しさを知っていたからこそ、合格まで勉強を続けられました。

今後は、会社を継いで安定させたいのはもちろん、気象予報士の資格をとるにあたって勉強したこともとても良い経験だったと考えておりますので、何かのかたちで生かしていければと思っています。今後もいろんなことに挑戦していきたいです。