学研教室の卒業生 木下さん

ENEOS株式会社
木下元大
二酸化炭素を生み出さない、次世代のエネルギーを広めていきたい
東日本大震災をきっかけにエネルギーについて考えるように
私は現在、ENEOS株式会社の水素事業推進部に所属しています。ENEOSというとガソリンスタンドなどで馴染みが深いと思いますが、現在国から、2050年に温室効果ガス(CO2など)の排出量を全体としてゼロにしようとするカーボンニュートラル政策が打ち出され、ENEOSでも化石燃料に代わる次世代のエネルギーを打ち出していこうとしています。水素というのは、利用において二酸化炭素を一切生み出さない次世代エネルギーとして注目されています。水素は、車の燃料として活用でき、人々の暮らしを支える電気や熱を生み出すことができます。現在、クリーンなエネルギーである水素を広げていくためのプロジェクトを立案しています。
中学生の頃までは、将来何になりたいかという明確な目標はなかったのですが、数学と化学の成績がよかったことから理系に進学をしました。大学に入って地球の環境問題に興味を持ち、2011年に東日本大震災が起こったことでエネルギー不足を目の当たりにして、エネルギーの会社に入ってみたいと考えました。また、当時は明確な目標はなかったのですが、大きなプロジェクトを動かすような仕事をしたくて、その両方に合致したのがENEOSでした。
実は、大学時代に専攻を選ぶ際、第1、第2志望は成績の関係で進めず、第3志望の化学工学に進んだんです。結果的には、それが今の仕事のベースになっているので、何ごとも縁なのだなと感じています。
算数でつまずいた小学生時代
学研まつば3丁目教室には、小学5年生から小学校卒業くらいまでの、約2年間通いました。もともと勉強が得意ではなく、算数の最大公約数や公倍数でつまずいてしまったんです。そこで両親も塾に通わせたほうがいいのではないかと考えるようになり、家の近所にあって評判のよかった学研教室に行ってみることになりました。
酒田先生との面談のあと、簡単なテストがあったのですが、そこで引き算の筆算ができないことが判明しました。「小学2年生のプリントからやってみよう」と先生に言われ、当時の自分もだいぶ算数ができないんだと、自覚したことを覚えています。
それまで、英会話教室には通っていたのですが、それ以外の塾には通ったことがありませんでした。英会話自体は楽しかったのですが、勉強という感覚があまりなく、きちんと学びに向き合ったのは学研教室が初めてだったように記憶しています。
進度に合わせた課題を出してくれた学研教室
勉強は得意ではありませんでしたが、いろいろな子どもたちが集まる教室は新鮮で、行くこと自体はまったく苦ではありませんでした。また、教室の先生にわからないことを聞くと答えてもらえるというのも、純粋にうれしかったのだと思います。
まつば3丁目教室に通っていた子どもたちは、みんなすごく真剣に課題に取り組んでいました。私と仲のいい友達もひとり、同じ教室に通っていたのですが、彼は毎回たくさんの宿題に取り組んでいたんです。それを見て、友達がこれだけやっているなら、自分もやらなければ、と思い、自分は負けず嫌いだったんだなと認識できました。
教室での思い出は、2つのリンゴです。というと、まつば3丁目教室は酒田先生のご自宅だったのですが、玄関にリンゴがふたつ置いてあったんです。ある日、ひとつのリンゴには「おいしそう」「きれい」などのポジティブな言葉を書いた付箋が貼ってあり、もうひとつのリンゴには悪口が貼り付けてありました。その後、数日通っていくと、ポジティブな言葉のほうはつやが出ているように見えました。科学的な根拠があるかはわかりませんが、当時の自分にはそれが衝撃的でしたし、言葉というものがどれだけ大きな影響を与えるのかを学ばせていただきました。
酒田先生は、質問には何でも応えてくださり、勉強をしなさいと無理強いすることもなく、「次はこれをやってみよう」と気軽に提案してくださいました。自分の進度に合わせて課題を出してくれるので、それが自分には合っていたのだと思います。課題をやればやっただけ、酒田先生がコメントを返してくださいましたし、アドバイスもあって、毎回とても楽しく取り組むことができました。
学研教室に通っていなければ、学力が上がらず、今の進路には進めていなかったと思います。また、水素事業推進部は、情報を集めていくことも大切な仕事です。情報収集でもほかの人に負けたくないという思いを持って取り組めることが、今の自分にとってはとても役立っているなと感じています。
このままだと地球温暖化の影響が大きく出てくることが、世界中で危惧されています。その中で、水素エネルギーは解決策のひとつになると考えられています。日本では、まだ水素というエネルギーはあまり流通していないので、水素社会の実現に向けて、その一部を担っていきたいです。日本を救いたいという意気込みで、今後も仕事にまい進していきたいと考えています。

▲お仕事中の木下さんの様子