学研教室の卒業生 橘さん

学研ココファン 新潟関屋
橘裕
高齢者住宅が地域の輪が広がるような場になれば
高校時代から興味を持っていた福祉の世界
現在は、学研の高齢者住宅「ココファン新潟関屋」に勤務しています。
ココファン新潟関屋は、サービス付き高齢者向け住宅で、高齢者の方が住まわれるマンションのような場所です。私はそこで職員として、入居者の方の身の回りのお世話や介護、サポートを行っています。といっても、気持ちとしては一緒の場所に暮らしているという感覚でいます。
高校時代にボランティア活動をしていて、その当時から福祉という分野に興味を持っていました。大学も福祉の分野を学び、支援相談員のような、介護現場と人とをつなぐような役職を目指していました。ですが、支援相談員は狭き門だったこともあり、当時の大学の先輩にまずは介護の現場に出てみたらとアドバイスをいただいて、別の施設に勤めることになりました。
その後、ココファン新潟関屋が開設されることになったと知り、ちょうど所在地が10年ほど住んでいて馴染みのある場所だったので、職員に応募をしたところ、ご縁をいただきました。私はもともとおばあちゃん子で、年配の方と関わることが好きなんです。今も、ご入居者様に家族のようだと言って受け入れていただけると、とてもうれしく思います。施設に勤務していると、支援する人とされる人という関係性になりがちですが、そうではなく、ひとりの人間として接したいと思っていますし、入所者の方にもそう思っていただきたいと思いながら、勤務をしています。

▲勤務中の橘さん
学ぶことの楽しさを教えてくれた学研教室
小学校3、4年生ぐらいから中学3年生ぐらいまで、新潟の学研有明教室に通っていました。どちらかというと勉強をするのは苦手だったこともあり、両親が小学校の目の前にあった学研教室に通わせてくれることになったんです。
当初は、勉強する場所にいくのかと憂鬱な気持ちもありました。ですが、学研教室は勉強をさせられているという感覚があまりなく、何かを知っていくことが楽しくなり、積極的に通うようになりました。
学研教室に通ってみて、学ぶこと自体はすごく好きだったのだなと感じました。私自身は、そんなに成績のいい子どもではなかったと思っていますが、先生はひとつひとつ、ステップを重ねていけるように親身になってくださり、興味があることに対しては、もっとこうしたいと自分で考えられるようになったんです。特に苦手だった算数や数学も、先生が根気よく教えてくださったことで、分かったときには達成感がありましたし、もっとがんばってみたいという前向きな気持ちにさせてくれました。
学研グループという縁で先生と再会
教室を卒業した後に、学研教室で採点のお手伝いをさせていただいたことがありました。先生がそのとき、私に似ている子がいると話してくださったんです。教室に通っていた当時の私は、困難にぶつかるとふざけてしまうようなタイプでしたが、確かにその子も自分に近しいものがありました。そして、年月を経ても、当時の自分のことを覚えていてくださったことを考えると、先生が子どもたちをいかによく見てくださっていたのかを知ることができ、大変ありがたいことだなと思っています。
同じ学研グループということで仕事で絡む機会があり、数十年ぶりに先生と再会しました。先生は、私が教室に通っていた頃からまったく変わっておらず、「先生」ではありますがお姉さんのような、お母さんのような存在でいてくださいました。いま、改めて振り返ってみても、子どもたちに寄り添い、一緒に歩いてくださっていた感覚が強いです。
人とどう関わっていくかを教えてくれた先生
学研教室は、10人いたら10通りのやり方で学ばせてくれる場所でした。その人それぞれのペースを重んじてくださり、一番輝けるように導いてくださるんです。大人になって自分が後輩の職員に何かを教えたり接したりする際、先生だったらどう言うのだろうかと考えるようになり、先生が丁寧に個人に寄り添ってくださっていたかを感じました。先生とは分野は違いますが、人と関わるという根幹の部分は同じなので、そのときの学びが今に生きていると思います。
現在の日本は少子高齢化が進み、医療や介護は生活と切り離せなくなっています。そういった話題はどうしてもネガティブだったり重い話題になったりしがちですが、高齢者住宅で働いてみて、この場所は地域の拠点にもなるのではないかと感じるようになっています。具体的にどうすればいいかはこれから考えていきたいと思っていますが、地域の輪が広がる拠点のような場にできたらと思っています。