学研教室の卒業生 高野さん

学研教室の卒業生 高野香流さんです

消防士
高野香流

あこがれを現実に 消防士の道へ

子どもの頃からのあこがれだった消防士

私は、2025年の4月から神奈川県藤沢市の消防局に勤務しています。 幼稚園の頃から消防士という存在そのものが好きで、よく訓練を見に行き、近所の人にも消防士好きが知られていたほどでした。本格的に目指したのは、中学時代からです。近所の方が心肺停止になった際、救急隊が来るまでの間に、私のところに助けを求めに来られたんです。心肺蘇生も行いましたし、近所の方のご家族から「香流ちゃんなら絶対に消防士になれる、ありがとう」と声をかけられ、絶対に消防士になろうとその時に誓いました。

また、現在は社会人のサッカーチームにも入っています。父もサッカーをやっていて、3歳の頃から続けているのですが、プロになるには力が足りないと感じて、小学生の頃にすっぱりとあきらめました。けれど、サッカーは好きですし、点を取って全員で喜んだり、チーム一丸となってプレイしたりするのが楽しいです。消防士もチームで活動するので、私は誰かと一緒に動くことが好きなのだろうなと感じています。

得意な科目は褒め、苦手な科目は励ましてくれた先生

学研深沢・梶原口教室には、低学年ぐらいから中学1年の最初の頃まで通っていました。もともと勉強は好きではなかったのですが、家で宿題にまったく手を付けなかったことを母が心配したようで、学校以外で勉強ができる場所を探してくれました。

勉強は好きではありませんでしたが、学研教室という、今までの自分の生活になかった場所へと通うことにはワクワクしました。実際に通い始めると、やはり途中から「勉強かぁ」とため息をつくこともありましたが、それでもとても居心地のいいアットホームな空間だったので、サボろうと考えたことは一度もありませんでした。

通っていた学研深沢・梶原口教室の川越先生は、褒めて伸ばす指導をしてくださいました。私は、座学よりも体育や技術など、身体を使った教科のほうが好きでしたが、そんななかでもまだ好きだった英語は、課題に取り組むたびに褒めてもらえました。一方で、算数などの苦手な教科に取り組む際は励ましてくださったので、折れることなく最後まで通うことができました。

百人一首から、学びに興味を持つことができた

川越先生は、まるで母親のように接してくださる先生でした。騒いでしまったり、教室にいるのにペンを持たなかったりして叱られたこともありますが、クリスマスやハロウィンなどはパーティーを開いてくださり、教室に通っているほかの学年の子どもたちと交流を持てました。同級生以外の人とのつながりの大切さを、そこで学べた気がしています。

また、私は学研教室に通っていたからこそ、百人一首をたくさん覚えることができました。学研深沢・梶原口教室では、帰りがけに好きな一首を先生に伝えていく習慣があったのですが、最初は一首を書いた紙を見ながら、つっかえつっかえ読んでいたんです。それが何度も繰り返すうちに暗記ができ、紙を見ずに伝えられるようになりました。そこからさらに新しい一首を知りたくなり、図書館で百人一首の本を借りて読むなど、自然と学びが広がっていきました。

最近では、消防士として市民の方に救命講習をする機会がありました。教える側になったことで、先生がいかにきちんと思いが伝わるよう、言葉を選んでくれていたのかを学びましたし、伝えることの大切さを改めて知ることができました。

▲学研教室に通っていた当時の高野さん

将来は、消防士としてさらなる知識や経験を積みたい

勉強が好きではなかった私ですが、両親が私のことを信じて進学するための学費出してくれたことで、消防士になることができました。両親の期待に応え、親孝行ができたことも、消防士になれてうれしかったことのひとつです。また、夢を叶えたことで、今度は子どもたちにあこがれてもらえる存在になることができ、今はやる気でいっぱいです。

現在、働いている藤沢市の消防局には、知識の面でも経験の面でも素晴らしい上司がたくさんいらっしゃいます。消防隊の中でもごくわずかな人しかなれない救助隊や、さらにその上の部隊の隊長を務められた方もいて、毎日が勉強になります。まだ1年目ですが、これからは消防士として知識や経験を積み重ね、上司のあとに続けるような消防士になりたいと思っています。