学研教室の卒業生 大森さん

実業団マラソン選手
大森菜月
いずれは、子どもたちにケガのしないトレーニングを教えていきたい
父と一緒に走るのが楽しかった
私は現在、会社に所属しながら陸上選手として駅伝や大会などに出場しています。大会に出ることでテレビに会社の名前をアピールし、一方で応援に来ていただいた社員の方を元気づけられるような存在になりたいと考えています。
もともと父が市民ランナーとして走っていて、一緒に走れば遊んでもらえるかもしれないと思ったことが、走るきっかけでした。7歳くらいだったと記憶しているのですが、当時は大会でいい結果を出せたり、小学校のマラソン大会で目立つことができたりするのが楽しく、また父が褒めてくれることがうれしくて、ずっと走っていました。
小学校6年生の秋頃に助っ人として陸上クラブに入り、中学校では陸上部に入部しました。ただ、私が通った中学校の陸上部はあまり盛んではなく、かろうじて部として成り立っているくらいでした。中学生になってからも陸上クラブのコーチが走りを見てくれていたので、ずっと好きなようにのびのびと走っていた記憶があります。それでも、部活に入っていたことで大会に出場できる機会があり、目標を持って練習に臨むことができました。
父が始めた学研教室の会員に
学研教室には、小学5年生から中学1年生まで通っていました。きっかけとなったのは、父が学研教室を開くことになったからです。私自身、当時は特別なカバンを持って塾に通うことにあこがれを持っていたので、学研教室に通えるようになったことは大歓迎でした。父の教室でありながら、きちんとカバンを手に、毎回「こんにちは」と言いながら教室に通っていました。
父が「学研教室の先生」でしたが、小さい頃から父に勉強のやり方を教えてもらっていましたし、試験があるときの計画の立て方も学んでいました。父のアドバイスもあって小学生の頃から漢字検定なども受けていたので、教えてもらうことには抵抗がありませんでした。
父の存在はもちろんですが、学研教室は教材がとても面白かったです。特に、英語は学研教室に通うまで接したことがなかったので、とても楽しく勉強ができました。CDが付いていたり(※現在はデジタル教材)、物語を読むような教材だったりしたので、興味を引かれました。一方で、苦手な算数はやりたくないと思ったこともしばしばでしたが、学研教室はこの時間はこの教科と決まっているわけではなかったので、気分転換もかねていろいろな教材に取り組むことができ、飽きずに続けることができました。
自分の成長が大切だと学べた学研教室
教室内での父は私のことを「菜月さん」と呼び、家での父とは違って学研教室の先生として接してくれていました。ただ、やはり家族ですからどうしても気が立つこともありましたし、甘えが出てもよくないなと感じたので、中学1年くらいから別の塾に変更したんです。
塾に通うようになってからは、いい点が取れればもちろんうれしかったですが、クラスによってはついていくのが大変で劣等感を抱くこともあるなということがわかりました。もちろん、競争をすることで成果が出ることもありますが、競争して自分が望む結果を得られなかった時には自信をなくすきっかけも生んでしまうと感じたんです。一方で、学研教室は自分のペースで勉強ができますし、他人と比べるのではなく自分と比べることが大切だと学ぶことができたので、それが成長にも繋がったのではないかなと感じています。
また、学研教室では、子ども同士の交流も盛んでした。まだおもちゃを持った3歳くらいのお子さんが入ってくることもあり、そういった子の面倒を見たり、集中できるようにいろいろなお話をしたりもしました。先日も、教室に通っているなかで陸上をやっているお子さんとお話をする機会があったのですが、私のことを「先生の娘さん」として覚えてくださっていました。このように、教室を離れてからも交流が持てるところも、学研教室の素敵なところだと思います。
勉強の計画を立てる大切さを学んだ
学研教室での学びは、学生時代はもちろんですが、大人になって海外に遠征をしたり合宿に行ったりした際にも役に立ちました。ショッピングモールで買い物をするというシチュエーションで英語を学んだことがあったのですが、そこで覚えたフレーズが実際に役に立ったんです。また、大会のために練習計画を立てることや、現在はTOEICのような試験を受けるために学習計画も立てる際に、逆算して計画を立てる大切さやペース配分などは、学研教室時代に学んだことで、今でも活きていると感じています。
現在は、2028年のオリンピックにマラソンで出場することを目標にしています。その後、引退するか、もう少し走るかはそのときになってみないとわかりませんが、将来的にはトレーナー業務のようなかたちで、子どもたちへケガをしないようなトレーニングなどを教えていきたいと考えています。私自身はケガが多い選手だったので、ケガで苦しむ子どもたちが少しでも減ったらいいなと思っているんです。
さらに、漠然と海外に行ってみたいという気持ちもあります。海外で何をすると決めているわけではないのですが、場所を決めず、どこでも仕事ができるようになりたいと思っています。どちらにしても、細かい手段はまだ定まっていませんが、これから先も大きな視野を持っていきたいです。